モネが、自宅に造設した池に浮く睡蓮を描き始めたのは1895年以降で、最初のうちは、池に渡した太鼓橋を入れたコンポジションの作品でした。とは言うものの、中には睡蓮そのものを描いたものもあり、前回掲載した二作は、睡蓮の花と葉がメイン・モチーフになっていました。


モネ 睡蓮のとき

1. セーヌ河から睡蓮の池へ
2. 水と花々の装飾
3. 大装飾画への道
4. 交響する色彩
エピローグ. さかさまの世界

連載記事: モネ 睡蓮のとき

 しかしながら、その後、最晩年に至るまでモネが描いた睡蓮の作品の中で、睡蓮だけをクロース・アップしたコンポジションは多くなく、広い画角によって池の水面の表情を入れるようになっていきます。睡蓮と一緒に、空やそこに浮く雲、日本庭園に植わっている柳等が水面に映り込む様を、様々な条件下で描いていきました。


クロード・モネ 睡蓮 (吉野石膏)
◇ 睡蓮 1906年 油彩/カンヴァス 81×92 cm 吉野石膏コレクション

 この吉野石膏が所蔵(山形美術館に寄託)する《睡蓮》は、池に浮く睡蓮と水面に映る空と雲を描いていますが、池の縁は描かれていないため、一見、(水面に映り込む)虚像と実像の区別が付き難く、現実を描く写実であるにもかかわらず、不思議な感覚に陥ります。


クロード・モネ  睡蓮(マルモッタン1903)73 x 92
◇ 睡蓮 1903年 油彩/カンヴァス 73×92 cm マルモッタン・モネ美術館

クロード・モネ  睡蓮(マルモッタン1903)89 x 100
◇ 睡蓮 1903年 油彩/カンヴァス 89×100 cm マルモッタン・モネ美術館

 これらマルモッタン美術館所蔵の作品は、吉野石膏のものより色彩が淡く、より現実離れしていいて、明るい色調ながら幻想的な風合いを有します。モネが意識して描いたのか否かは知る由もありませんが、写生であるはずなのに、これらの作品に漂う非現実性には、その後まもなく現れる抽象絵画に通底するものがあります。一方で、上の吉野石膏所蔵《睡蓮》の不思議な浮遊感のようなものは、さらにその後に出現する、シュルレアリスムをも想起させるものがあります。アンドレ・マッソンによる「つまり、モネは印象派ではなく、あらゆる現代美術の生みの親ではないか。」の根拠の一端が、すでにこの時代の作品にもあるように思います。



画像出典: Wikimedia commons 他
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クロード・モネ
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